平和の意味を問い直す「1945」

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鴨居中時代の教え子のひとりで、画家のikko君から「1945」という企画を持ちかけられました。消えつつある現代史の原点である「1945」年を、その時代生きてきた人の自分史を語ってもらい、証言として聞き取り、記録し、WEBで公開したいということだった。

IKKO(一航)http://ikko.info/profile.html
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そこで私のかねてからの知り合いの元中学校教師の木村禮子さん(85)にお願いした。
 先生は汐入で生まれ、大津女学校へと通われた。自分史として戦前戦後の横須賀とその時代についておはなししていただいた。ありきたりの言葉でなく、丁寧に鮮明に、当時の心情を語っていただきました。三浦半島に配備されていた特攻隊「震洋」の乗組員のこと。原爆による広島の親族の全滅。学徒動員の兄の南方戦線での戦死・・・・・・。
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 お話の中でひとつひとつが鮮明によみがえる。その時代の空気感が感じられる。
そういった経験のあとで、迎えた「8月15日」。その日を起点に明らかに変わったことをおききした。木村さんは、「そうですね~。」とひと呼吸あけて、「負けたという悔しさをもっていた方も多かった中で不謹慎だけれども」と前置きし、「そう、街が明るくなった」ように感じたという。「もう何でも自由に話してもいいんだ。」「もう戦争で人が死ななくていいんだと」いうことを一番強く感じたのかなぁ。と淡々と語ってくれた。

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 今回の企画を通して、教え子からあらためて「平和の意味」をもう一度丁寧に読み解く必要があることを教えてもらった。何度も反芻しながら、思いを巡らせている。
次回は11月に、特攻隊「震洋」の基地だった松輪をたどり、その記録をとる約束をして別れた。

「1945」http://ichikyuyongo.com

一つのテーマとして「1945」を掲げ、
戦争の話、日本の文化・風習、アンビリバボーな話、なんでもない日常の話、etc
聞きたくても聞くことができなくなってしまう日がやってくる前に、
おじいちゃん・おばあちゃんがたしかに体験した「1945」を、
若者たちに、子どもたちに、未来に伝達していきたいと考えています。

現在クラウドファンディングCAMPFIREにて皆様からのご支援を募っております。
本プロジェクトの意義にご賛同いただけましたら暖かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

2014年10月8日 ウェブサイト正式オープン予定。


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特攻隊 「震洋」について

木村禮子さんが編集した本がAMAZONで発売していました。
http://www.amazon.co.jp/海軍水上特攻隊-震洋―三浦市松輪にあった第五十六震洋隊岩館部隊の記録-第五十六震洋隊隊員有志/dp/4861060087

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★つなぐ平和・2014夏:「なぜ戦争を」考え続けて69年 敵艦体当たり艇「震洋」元搭乗員、岩井忠熊さん立命館大名誉教授(毎日新聞/大阪版 2014年8月17日)

死の意義分からず特攻

「国に殉じる」は虚構
「特攻はきれい事じゃない」。立命館大名誉教授の岩井忠熊さん(91)=大津市=は、爆薬を積んで敵艦に体当たりする旧日本軍の特攻艇「震洋」の搭乗員だった。「なぜ日本はあんな戦争をしたのか」。終戦から69年間考え続けている。

45年3月、米軍の沖縄上陸を阻止するため出陣が決まった。命令は絶対で死の意義も分からない。それでも命を差し出す取引条件として何があるのか。「同じ死ぬなら最期に敵に打撃を与える」と言い聞かせ、震洋を搭載した輸送船に乗り込み石垣島に向かった。

奄美大島沖で米軍の魚雷攻撃に遭った。船から投げ出され、荒れる夜の海を約3時間漂い、救助された。187人の震洋隊員のうち助かったのは45人。(中略)

戦後に復学し、日本が戦争をした理由を解明しようと近代史を研究してきた。「大した成果のない特攻で、多くの仲間が死んでいった」。国のために殉じるという、かつての“大義”は虚構だったと気づいた。自らも生き残りとして講演活動に関わるようになった。

岩井さんは特攻隊員を題材とした小説や映画がヒットする最近の状況を危ぶんでいる。「戦争になれば自衛隊員だけでは足りず、徴兵制が採られるだろう。現代の若者はどこか人ごとのように考えていないか」

戦禍はなお癒えぬ 体験者が次世代へ残す言葉(中)終わりなき作戦 岩井忠熊さん(91)歴史学者
 (京都新聞2014年8月8日付から)

書斎の窓から、青い琵琶湖の風景が見渡せる。山積みになった本の中に、手のひらくらいの模型が置いてあった。ボート型の特攻兵器「震洋(しんよう)」だ。歴史学者の岩井忠熊さん(91)=大津市=は戦時中、震洋の搭乗員だった。「こいつに2人乗って、全速力で敵艦に体当たりするのが僕らの仕事でした」

米軍が上陸する際、輸送艦は必ず海上に停まり、兵士が乗る上陸用舟艇を発進させる。そのわずかな隙を狙い、島陰に隠れていた震洋が出撃する「一撃必殺の作戦」だ。決戦を控え、全国各地に4千隻が配備された。(中略)

8月15日、無線を通じ終戦詔書を知った。少年時代にレマルクの反戦小説「西部戦線異状なし」を愛読し、今は平和主義で知られる岩井さんだが、「正直言うとね。敗戦はガクッと来た。出撃となれば、ちゅうちょせずにいった。結果的に立派な軍人になっていましたね」と苦笑した。知らない間に多くの人びとが戦争を支え、特攻を編みだし、死すら美化した。無思考、無批判こそが戦争の根源だった。「われわれの運命を制した精神構造がある。それをはっきりできない学問なんて意味はない。戦争体験者の本音です」

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