「震災廃棄物の広域処理をめぐって」 専門家の視点から

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▼ちょうど一年前になるのだろうか。一通の手紙が届いた。京都に住む大学の先生というだけで、面識もない方だった。文面を読むと、丁寧な文章で要約すれば、「がれきの搬入をめぐるさまざまな報道があった中で、今回の件について、地域でどのような論議がされているのか話を聞かせていただきたい」ということであった。

▼私はまず、どういう方なのかわからないので、ネットで、土屋さんのことを調べ、彼の著書である「環境紛争と合意の社会学―NIMBYが問いかけるもの」をAMAZONで注文をすることにした。本を読んでみると、住民の立場に立って、NIMBYの問題を分析し、理解を進める視点で書かれていたことから、「この方ならば」とお会いすることにした。

▼逗子駅で待ち合わせをした。私もずんぐりしているが、よりずんぐりした熊さんのような方だった。体と裏腹に、静かに聞く姿勢が素晴らしいと感じた。その日は芦名の最終処分場などを見ていただいた後、お話をした。また、翌日は私が紹介して、何人かの地域の方たちのお話も聞いていただいた。そんなことが縁で、忌憚なく話す関係になっていった。その後も何度か現地を取材され、今回の論文となったと聞いた。

▼私は、下記の文章中でも指摘していただいたように、「地域を分断させないこと。」のために、さまざまな動きを地域の会長さんたちと相談しながら一歩一歩、進めてきた。最初から答えがあったわけでもなく、たどり着く場所が見えていたわけでもなかった。

▼ただ、町内会長さん達の共通した意識は、「地域の皆さんが、この嵐が去った後でも、同じように会話をし、同じように笑い、過ごせる関係を続けたい」ということだったことは確かだ。

▼今回、土屋さんの論文には、広域処理の問題を紐解くためには何が必要なのか。今回のターニングポイントであったいくつかの場面について、きちんと書いていただいたと理解している。少し難解な部分もあるが、きちんと読んでいただくと、今回の広域処理の問題の本質が見えてくると思う。

▼今回の事件を通して、地域の中から、また地域の外から、「きちんと考える」方に出会うことができた。課題を中心におきながら、地域の方たちとずいぶんお話をさせていただいた。70才や80才を超えた長老の皆さん、これから地域をつくって行く若い方達からも多くを教わった。 寄合文化の中で、お互いに助け合う力が地域にはまだまだあるのだ。 本当にあり難いことだと思う。 そういった人たちとの出会いが、明日の地域を創っていく力となるにちがいない。

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震災廃棄物の広域処理をめぐって
土屋雄一郎(京都教育大学教員)


「がれき処理=震災復興=善」という枠組みをいかに解体し、再構築するのかが重要な課題となる。

◆震災がれきの広域処理問題

 2012年2月、未曾有の大震災から一年が経過しようとするなかで、2千万トンを超える災害廃棄物をどのように処理するかが、深刻な社会問題として取り上げられていました。平時の10年分から20年分にもおよぶ膨大な量の廃棄物処理の遅れが復興の大きな障害になっているというのがその理由です。「1日も早い東北の復興のために、全国の廃棄物処理施設で災害廃棄物を受け入れ、処理することについて」の理解と協力を求める全面広告が全国紙に掲載されるなど、震災がれきの広域処理の必要性を煽るキャンペーンが繰り広げられたことは、記憶に新しいところです。

 これを受け、3月上旬には、17の県市町村の首長によって「みんなの力でがれき処理プロジェクト」が立ち上げられます。趣旨書には、「多くの自治体の首長が復興支援のために協力したいという気持ちを持っているにもかかわらず、放射能への懸念などから受入れが難航している状況」が問題として取り上げられていました。そして、科学的・経済的な妥当性についての検証や説明が十分にされないまま、問題解決に向けた「強さと思いやり」が問われ、がれきの受け入れを被災地との連帯の踏み絵にするかのような言説が政治的、社会的に形成されていくことになります。

 神奈川県では、プロジェクトの発起人を務める知事が、2011年5月に震災がれきの受入れを表明し、年末には県内の施設で焼却し、焼却灰を県営の最終処分場に搬入する計画を発表します。これに対し、最終処分場が立地する地元の連合町内会(以下、O区という)は、受入れ反対の決議文と計画の撤回を求める要請文を知事に手渡しましたが、このことが報道されると、彼らは全国から寄せられる「非国民」、「身勝手」といった誹謗中傷に晒され、「いま神奈川の絆が試されている、県民として恥ずかしい」といった言われのない非難を浴びることになります。

 
◆地域住民はなにに抗っているのか

2012年8月に内閣府が発表した「環境問題に関する世論調査」によれば、震災がれきの広域処理に関して、「進めるべきだと思う」と「どちらかといえば進めるべきだと思う」をあわせ、約9割が賛成であるといいます。しかし、がれきを受け入れることで実際になにか問題が生じたとき、環境リスクを引き受けなければならないのは、施設周辺に暮らす人々に他なりません。ごみ処理施設は、政治的・社会的発言力の弱い地域に立地されることが多いと指摘されてきました。計画の受け入れによって、施設の立地にともなう格差が環境リスクの受容をめぐる格差として再生産されようとしているにもかかわらず、このことには目もくれず、震災がれきを焼却することによって生じる焼却灰の受入れを拒んだ人々の態度や考え方だけをNIMBYだと言って断罪することができるでしょうか。

 問題の舞台となった県の最終処分場の建設に関しては、1994年に計画が発表されました。しかし受入れをめぐっては、地区内の意見が「反対」と「受け入れやむなし」に分かれ激しく対立し、最終的には賛否をめぐって住民投票が行われ、僅差で受入れが決まった経緯があります。県と地域住民との協議や説明会の開催は8年間で120回に及び、2002年に、県とO区を構成するA町内会との間で協定書が結ばれ、(1)受入れる廃棄物は県内から出されたものに限定すること、(2)協定の内容を変更しようとするときには、両者が速やかに協議することが約束されました。県による今回の提案は、このいずれにも該当する重大な事項だといえます。
 協定書は、県とA町内会が対等な関係のもとに結んだものであり、両者が論議をし、納得してきたことが軽視されてはなりません。にもかかわらず、県の対応はA町内会やO区の頭ごなしに行われ、住民の不信感を増幅させてしまったのです。ある住民は、「受入れ時の町内の軋轢は今でも傷となって残っている」と言い、「傷口がようやく癒えてきてかさぶたになってきたと思ったら、それがはがされそうになる」と厳しい口調で話しを続けます。今回の出来事をめぐっても、「だからあのときに受入れなければよかった」と思っている住民も少なくないはずです。

 O区は、三浦半島の西海岸に面した農漁業の盛んな地域です。今回の出来事に、「自分だけ良ければいいのか」などと書かれたメールが数多く寄せられましたが、長年にわたって誰もが嫌がる施設を受入れ続けてきたのは、彼らだったのです。1976年以降、市の最終処分場やし尿処理場を受入れてきたばかりか、最近では、ごみ処理の広域化計画にとって必要となる新たな焼却施設の建設を受け入れています。とくに、最初に受入れた処分場はひどかった。不十分な処理によって黒い水が流れ出しカラスやハエが大量に発生するなど、住民は深刻な環境汚染に苦しめられてきたといいます。しかも、10年間という約束であった操業期間は22年にも及びました。
 
 しかし、こうした地域の来歴が顧慮されることはありませんでした。県がO区の住民を対象に開いた説明会には知事も出席しましたが、説明は一方的な受入れの押し付けに終始したといいいます。知事は、受入れには地元の理解が必要であるとの認識を示しながらも、「地元とはどこか」という質問には、「地元とはこの問題に関心を持っている人である」というような曖昧な答弁を繰り返すだけでした。説明を冷静に聞き、議論を交わしたいと願って出席した地域のリーダーたちの多くは、「地元は神奈川である」という枠組みの中で自らの主張を正当化する応答や、「私のプレゼンテーションを聞けば、普通の人なら理解してくれるはずである」といった記者会見での発言に違和感を抱きます。

施設からの距離が離れれば離れるほど、施設への忌避感や環境リスクに対する意識は薄くなります。当然、問題が顕在化した場合における影響も大きく異なるでしょう。当事者の範囲を広く捉えることでがれきの受入れに対する支持を得、それに抗う地域住民の態度や考え方を「地域エゴ」であるかのように追い込んでいく県の手法に対し、彼らの多くは反発し、反対の意思をより強く固めていくことになりました。こうした態度や考え方を「NIMBY」と言い批判する人達がいます。しかし、それががれきを受入れたいと考える側によって作り出されているとするならば、批判の矛先は、NIMBYを作り出している力学に向かわなければならないはずです。

◆環境リスクに対する運動との連帯不可能性

 震災がれきの広域処理をめぐる問題が、これまでに日本社会が経験した他の災害廃棄物の処理と大きく異なる点は、福島第一原発の事故によって引き起こされた放射能汚染への危機感にあるといえるでしょう。放射能に対する風評や直接の影響は、農漁業に従事する人々にとっては死活問題であると同時に、子ども達への健康影響を懸念する保護者世代にとっても内部被爆等を含め極めてデリケートな問題でもあります。がれきの受入れを表明した自治体では、賛否をめぐる対立が目立ち相互の不信感が増幅していて、がれきの受入れに反対する市民運動が各地で組織されるなど、社会的な亀裂が深まっています。

 神奈川県内においても、放射能汚染への懸念からがれきの受入れに反対する市民の声が高まっています。がれきの受入れを市民全体あるいは県民全体の問題として位置づけるために県が開いた説明会では、計画に反対する意見が相次ぎ、県の姿勢に対し野次と怒号が飛び交ったといいます。O区が計画に反対する最大の理由の一つは、拭いきれない放射能汚染への不安にあります。住民の一人は、「津波や地震によるがれきを処理するだけなら、すぐに提案を受入れていただろう。だが、今回は違う。将来世代への責任を考えた時、ここに住み続ける者として『それでもいい』とは言えない」と胸の内を話してくれました。

 震災がれきの広域処理は、2011年8月に議員立法で成立した「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別処置法」の下で進められてきました。この間、国や県、マスメディアによって「がれき処理=震災復興=善」というフレームが強固に構築され、それによって正当化される政策や言説によってO区の住民は苦しめられてきました。したがって、問題を解釈するこの枠組みをいかに解体し、再構築するのかが重要な課題だといえます。

 変更を迫るためには、強い発信力を必要とします。しかしO区は、がれきの受入れに反対する運動からの働きかけに対し距離を置き続けたのです。反対運動のリーダーは、目的が同じであるにもかかわらず、O区の住民たちがなぜ頑なに連帯を呼びかける提案を拒むのかが理解できないと訝しがります。国や県が主張する正当性に対し異議を申し立てる運動が、善と悪、正と邪という対立図式のもとに問題をクリアカットし、多くの人々が抱いている放射能汚染に対する危機感を動員することで社会的な影響力の確保を図ろうとする戦術を批判するつもりはありません。

 しかし、地域にはこの問題をめぐっても異なる様々な立場や考え方があり、これらに折り合いをつけながら意見をまとめていかなければならない。問題の焦点を単純化することで運動の動員力を高める手法は、かつて廃棄物処分場の建設をめぐり賛否を二分する深刻な対立を住民間に引き起こし、切り刻まれた人間関係を修復することがいかに困難であるかを経験したコミュニティにとって受入れ難いのです。

 日本における最大級の産業廃棄物不法投棄事件の現場となった香川県豊島で、島民として島民の運動を支えた地域のリーダーの一人は、住民の悲鳴は「ここに奪われた尊厳がある。その重さを認めて欲しいということに他ならなかったはずだ」と述べています。こうした指摘に寄り添えば、県との間で結んだ協定書を根拠に、最終処分場への震災がれき焼却灰の受入れを拒むO区の住民にとって、安全性を求め焼却灰の放射性濃度の受入基準を問う声に曖昧にしか答えることのできない知事の姿勢も、説明会の場を野次と怒号で混乱させる反対運動も、地域社会の来歴に根拠づけられた彼らの生活を顧慮しないという点において、ともに共感を呼ぶものとはなりえないのです。

 その後、県は新たに岩手県北部沿岸地域の町村で発生した漁網の受入れ計画を発表しますが、コミュニティの紐帯が再び分断されることを恐れたO区は、2012年の12月、町内会員に対する意向調査の実施に踏み切ります。4644世帯を対象に行われた調査の結果、有効調査数の3498(回収率75.3%)に対し、反対が1695、賛成が1563となり、O区は反対の意思を確認したのです。

この調査には、町内会が主体となって実施する調査であるため、一世帯で1枚の調査にならざるを得ないといった課題も残ります。しかし、調査票には「次世代の子どもたちや地域の将来にもかかわるような問題でもあるので、各世帯でよく話をしていただき、賛成・反対のどちらかに○を付けて提出してください」と書かれており、調査票に設けられた自由記載欄への記述からは、家族で真剣に話し合った様子を読み取ることができるなど、そこに暮らし続けていかなければならないO区の人々のトータルな生活世界に寄せる「思い」が込められていることは間違いありません。

 これに対し、知事は、「放射線量も通常と変わらない。放射能汚染への恐怖感は誤解である」と安全性を強調し、「誤解が解ければ考えが変わると確信している」と発言するなど、問題の所在が「地元の理解」にあることを指摘し、震災廃棄物の受入れを推進する立場を崩していません。

◆コミュニティを基盤にした応答責任

 大震災以降、O区では義援金を募るなどの支援活動が行われてきました。また、この問題をきっかけに、住民たちが被災地を訪ね、直接、被災者の声を聞く取組みが始まっています。受入れに反対するのであれば、自らの判断を「地域エゴ」だと断罪する人々よりも被災地の実情を知っていなければならないと考えたからです。被災地に足を運ぶことで、彼らは本当に必要な支援とは何かを自らに問いかけます。時間の経過とともに支援者が引き上げていく中で被災地が自立的に復興を遂げていくことが困難を増していること、復興に向けた国や県の政策と住民の意識が乖離しつつあることも深刻な問題だといいます。だからこそ、彼らは、行政によって説明される必要性ではなく、被災者が語る課題を聞き応答することで、生きた支援のあり方を模索しているのです。具体的には、O区では、様々な地域行事で得た収益金をもとに基金を作り、被災者や支援者の顔が見える関係を築き、継続的に交流できるような仕組みづくりができないか、検討が続いています。

国家による秩序とそれに対する信頼が大きく揺らぎ、被災者と救援者の間の相互扶助的な共同体づくりが求められるなか、こうした地域の実践は、社会的に構築されたフレームから彼らを解放する意味を持つだけでなく、地域の来歴に支えられた生活の存在根拠を基点にした応答責任によって実現される新たな連帯の可能性を示しているといえます。

(『住民と自治』2013年5月号,自治体問題研究所) 



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