映画「のぼうの城」上映中

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沖縄 中城(なかぐすく)城址

「のぼうの城」


▼映画化され、現在ロードショー中の作品です。原作の方がとても面白く読めましたが、映画もなかなかですよ。石田三成役で、横須賀出身の上地ゆうすけ君が出ていますので、ぜひご覧になってください。お父様とは、議場でも委員会でも隣の席で毎回勉強させていただいています。大変すてきな50代です。

さて、「のぼうの城」が公開されて、ヒット中ですが、2008年の11月に私がはせどんブログを始めた頃に「のぼうの城」について書いたものを見つけました。一番古いほうから4番目のブログです。なつかしい。
のぼうさまの魅力が、どれだけ出ているのかと思い、映画を見ました。のぼう様役が野村萬斎さんというのは、少しだけ自分のイメージとは違っていましたが、それはそれでさすが狂言師の味わいはありました。
 原作を読んだ時の僕のイメージではのぼう様は「TKOの木下さん」のイメージ。またちがったのぼうさまでしょ。TKO木下さん http://www.tvbible.org/kinoshita.jpg

▼さて、4年前のブログを下にのせてみます。なんだか、今に通ずるものがあるようです。

強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねと言うのか!!』 というのが、今の民の声であるような気がします。一部のエリートや高級官僚・政治家が支配した制度の中で、権力を持つものがが弱いものをよってたかって圧力をかける。民は、格差の社会の中で生活に追われ、夢や希望を持つことも許されない。 不安と不満の満ちた中で、新しい年に何を求めたらいいのか。

▼今の時代の中で、改めて、考えるテーマが増えてきたと考えます。政権与党に返り咲いた新政権が、何をするのか。どのような施策を押し出せしてくるのかが見えてきません。そのときに民は政治に何を求めるのか。本当に大事なことを見つけていく丁寧な作業が必要だと考えます。

▼「競争することが正しい。チャンスさえ平等に与えれば競争での勝ち負けは自己責任だ」という社会が、私たちの生活になにをもたらすのかが心配です。一人一人がのんびり、ゆったり幸福感を持って生きることが可能な社会、それぞれの「自己実現可能な社会」がいいなあと感じるものです。50歳を超えるとやはりそんなことを考えるようになりました。

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2008年11月3日 はせどんブログより

 天下統一を目指す秀吉の命を受け、関東の雄・北条を従わせる為、2万の兵を率いて進軍する石田三成と、その親友・大谷義嗣。
その途中に現れたのが、わずか2千の兵が守る忍城(おしじょう)だ。 だがその城こそが、三成軍の前に強固に立ちふさがる。 その城主が成田長親。

「のぼう様」と呼ばれ、「のんびり田植えをしたり、領民と踊りをすることが大好き」誰よりも領民に愛された、でくのぼうの主人公である。
それ以外にも
長親の周囲の登場人物もまた個性的。
長親の幼馴染で無双の豪傑・丹波。
丹波と武を競う猛将・和泉。
自称戦の天才だが、1度も戦に出たことのない酒巻。
彼等と共に、圧倒的に不利な状況を戦っていく中で、長親の「底知れぬ器」が明らかになっていく。

一番のシーンは、大群に包囲され、降伏を迫る、態度の尊大な使者を前に、開城やむなしの空気が蔓延する場内で、のぼう様が初めて吠えます。

『強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。
小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねと言うのか!!』



この言葉で、少人数立てこもる忍城は、豊臣秀吉の大群相手に、歴史に残る一戦をしかけます。

時代は違っても、今も同じ思いを持つ人も多いはず。世直しをしなければなるまい。

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