第4回定例会で一般質問しました

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一般質問                              長谷川昇

こんにちは 研政 長谷川昇です。発言通告に則り、発言をさせていただきます。

○原子力空母の安全性と情報公開

原子力空母の母港化から4年が経過ました。11月20日に原子力空母ジョージ・ワシントンが、帰港いたしました。 全国の多くの原発が運転を停止している今、現在日本国内で稼動している実用原子炉は、大飯原発と横須賀の原子力空母ジョージ・ワシントンと原子力潜水艦のみとなっています。
昨年3月11日の東日本大震災以降、原子力空母の安全性を危惧する市民の皆さんの関心も高くなっています。そういった意味では、8月の油漏れの事件がきちんと報告されていなかったことは、新聞でも大きく報道されまし、市議会でも論議のあったところです。
 
市長が作ろうと推進している自治基本条例では、17条で「市長等は市政に関する情報を公開し、積極的に提供し、市民と情報を共有するものとする。」としています。
しかし、基地対策課が作成した「米軍関係犯罪事故通知処理表」資料によれば平成18年3月までは、公開していたものが、市の判断で公表されない事例が増えています。

沢田市長時代は米海軍の同様の油漏れ事故については、ほとんど広報し、文書による要請をしていました。蒲谷市長時代は、口頭の要請に緩和したが要請はしている。吉田市長の任期になると、広報も要請もしなくなったということがわかります。

8月29日の記者会見や9月の定例会でも市長は、「一定のルール作りを確立することを」発言されましたが、ルール作りはできたのか。また、作成中ならばどういったものを考えているのかを教えてください。

さらに、この点からいえば吉田市政になって、情報公開が後退しているように感じられます。また、9月議会では井坂議員が「平成18年度以降事故を報告したくなかったのか」という質問に、市長は「どういう判断がはたらいたのかわからない」「想像することは難しい」とその原因について言及を避けました。
しかし、情報公開のためのルール作りをすることと、同時になぜ公開がされなくなったのかという原因を省みることが必要と考えますが、その後、原因は究明できたのでしょうか。お答えください。

また、原子力規制委員会と原子力規制庁が9月19日に発足をいたしました。原発の安全審査を強化し、防災重点区域を30キロに拡大し、その地域でのヨウ素剤を事前配布するとのことです。ところが原子力艦船については、位置づけもあいまいで、安全対策も防災対策も米軍任せで原発に比べれば何も行っていないという状態です。  
横須賀市としては、新たな体制ができた中で、本市と周辺の市町村と一緒になって連携した防災体制を確立することができるよう提案していくことが必要だと考えますが、市長はどのようにお考えでしょうか。

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○芦名の最終処分場への魚網の搬入について

昨年12月20日に、黒岩知事が県議会で突然の瓦礫焼却灰を芦名にある最終処分場へ搬入する計画を打ち上げてから、一年になろうとしています。
1月15日には芦名での地元説明会を開催しましたが、知事の発言に不満の声が噴出しました。地域住民の声を受けて、2月5日、大楠連合町内会は、提案への撤回決議をいたしました。しかし、震災一周年のキャンペーンとあいまって、度重なるマスコミからのバッシングに見舞われました。役員の自宅にも嫌がらせの電話がかかってきました。なぜこんなことになるのかよくわからないまま春になりました。
5月になると、被災地への支援のあり方も変わってきました。広域処理についても見直しがされ、瓦礫に対しての報道も少しずつ変わってきました。
7月26日、黒岩知事は当初の提案を撤回し、「新たな支援」として「魚網」の提案がされました。放射能も検出されない。さらに、被災地では処理が難しいという「魚網」を岩手県北部にある洋野町から1600トンを搬入するというプランでした。さらに、野田村から400トンが追加されて2000トンの搬入ということになりました。
この提案を受けて、大楠連合町内会は新たな試練の場を迎えています。

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大楠連合町内会は苦悩の末に、一定の結論を出すには、民意を聞くより他にないという結論に達し、現在、町内会会員の意見集約の取り組みを進めているところです。
市長は、この一年間、この件で連合町内会や地元に足を運ぶことはありませんでした。11月8日の連合町内会臨時総会で始めて顔を出されて、被災地の視察をしたお話をされた後で、「住民の結論に対して寄り添う気持ちは変わらない」とお答えをいただきました。

しかし、一方で11月23日の県の説明会では、「ぜひお願いしたい」と漁網の受け入れを進める意向を示しましたが、なぜあの場面で表明されたのでしょうか」真意をお聞かせください。

現在、連合町内会は、地元の町内会会員に対して、「意向調査」の準備をしていますが、市長もマニュフェストで「市民が主役の街づくり」と書かれています。決定をしていく際に民意を問うことは民主主義の手続きとして最低限必要だと思いますがどのようなお考えをお持ちでしょうか。

また、市長は、この間ずっと、「地元に寄り添う」という発言をされ続けてきました。大楠の民意が市長の思いと同じでも、違っていても変わらないということでしょうか。お答えください。

○横須賀市からの被災地支援について

東日本大震災から1年8ヶ月がたちました。私は2ヶ月に一度の割合で、被災地に足を運んで、震災直後から復旧・復興に向けた営みを見続けてきました。10月はじめには、陸前高田・大槌から、国道45号線に沿って八戸まで海岸線を北上し、被災地の状況視察をしてまいりました。

復旧に向けた動きは少しずつ進んできてはいるものの、復興への兆しはまだ見えないところです。被災地の課題は震災1年半を超えて、大きく変わってきています。震災直後は物資の不足や瓦礫の処理は最優先の課題でした。

しかし、現在は、そういった課題から、地域による課題の差はあるものの、雇用の喪失、人口の急激な流出が深刻な共通の課題のようです。「このまま行けば10年たったらこの町から若者は誰もいなくなる。だから今がんばらねばだめだ。」と語る若者の声を聞きました。

また、震災以降、現地に入っていた災害ボランティアの多くが、「ボランティアでは食べていけない。」と泣く泣く現地から離れていく現状も聞かせていただきました。「ボランティア難民」という言葉もあると聞きました。
また、旅館を何とか再建し、地域の未来を語るおかみさんからは、資金を貸してくれない銀行のことや復興財源がうまく回っていない現実の問題を聞かせていただきました。帰り際に、「皆さんが、足を運んで来てくれることが復興への一番の手がかりよ」と日焼けした満面の笑顔が忘れられません。

震災から1年8ヶ月、被災地は様々な課題を背負いつつ、少しづつ動いています。まだまだ支援が必要な現状は続いています。

今こそ市民一人ひとりの手で繋がっていくような「被災地支援」が必要なのだともいます。これまで横須賀市は震災直後は多くの職員が派遣され、物資も送っていましたが、現在はどのような支援をしているのでしょうか。

何ができるのか、ということよりも何が求められているのかを聞くことから現地のニーズにこたえていく動きが必要な時期が来ていると考えています。
 
被災地の復興はまだまだ時間がかかります。地域と地域のつながりの中での支援が必要です。横須賀市として復興支援のための施策を独自に進めていくつもりはあるのでしょうか。

今こそ横須賀から発信する新たな支援策が必要と考えます。ぜひ市長の前向きな答弁を期待しています。

以上で質問を終わります。




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