2012.夏 被災地からの報告Ⅰ

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▼8月8・9日に岩手県沿岸部にかけて視察に行ってきました。今回も案内も含めて、釜石・大槌・陸前高田を中心に回ってきました。またしても大槌の復興食堂にお世話になって、大槌ツーリズムに参加させていただき、おいしい「おらが丼(いくらと鮭の丼)」を食べてきました。

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▼今回の仲間は、県内の各自治体の議員さんをお誘いして、視察団として企画いたしました。とりわけ、私個人の課題としては、「漁網」の状況や「緑の防潮堤」の様子を見学させていただき、新たな支援の在り方を考えることでした。
 本当に何回訪問させていただいても新たな発見があります。これからも、きちんと被災地の現実と向き合いながら、ずっとつながり続けたいという思いをあらためて深めてきました。

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▼8日、早朝の新幹線で、一ノ関駅に11時過ぎ到着。一関市内で、レンタカーを借りて出発。途中でおいしい蕎麦を食べる。2時半に大槌について、ツーリズムの予定だったので、急いで車を走らせる。東北道から、遠野経由で、釜石、大槌のルートをとった。 時間的にはきつかったが、無事到着。


▼復興食堂のスタッフに案内していただいて、大槌の震災時の様子と震災後の課題を丁寧に話していただいた。町役場は焦げていた小学校跡に、白いペンキが塗られてリニューアルの工事をしていて、復興が少しづつ進んでいる。 ただ、市街地については、まだまだこれからである。夏の草に覆われて、草原のようである。

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▼復興食堂が、ビニールのテントから、プレハブの部屋になり、空調が入っていた。大きさは以前とほとんど変わらないが、快適になったようだ。確かにテントは冬はいいけれども、夏は蒸し風呂になる。賢明な選択だ。スタッフは相変わらず、元気だった。 よかった。ただ、「久しぶり、また来てくれてありがとう」と声をかけてくれる。 「来てよかった」それが実感。

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▼また、神奈川県が新たな提案をしてきた「漁網」について。本来ならば洋野町に行くべきなのだが、大槌とその周辺での「漁網」の様子を聞いてみた。何人かに聞いた中では、「漁網」といってもピンとこないようだ。その辺にあると思うよ。という程度で、その処理がどうとか、そういった関心事にもないようである。少なくとも「漁網」の処理に強い関心があるということは感じられなかった。

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▼今後、処理業者にも聞いてみる必要がある。 とりあえず、「漁網の処理」がどうのということよりも、もっと深刻な課題が横たわっているのは事実だ。
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▼現在 「何に一番困っているのか」と率直に関係者に聞いた。まず一番は、ボランティアで現地に入っている人が、次々抜けていくことだという。 被災から一年間はたくさんのボランティアが、現地に入って、支援活動をしてくれた。それが、被災した地域の活性化や新たなプロジェクトの再生の力を支えてきてくれた。そのボランティアの人たちが、元の仕事に帰るなど被災地を離れる動きが加速しているという。

▼原因は、主に経済的な理由だという。一年間は支援活動という中で、多少厳しくても頑張ってきたが、「そろそろ帰ってこい」という声がかかったり、家族から「いつまでやっているんだ」という声が届く中で、苦渋の選択として、被災地を離れるケースが多いと聞く。

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▼ボランティアについては、継続可能な「職業としての援助活動」に移行していかない限り、現地での復興支援に限界が生じている。何らかの行政の後押しがなければ、復興支援の軸となる組織の内側から崩壊していく。 今地元で緊急に必要なのは、がれきの広域処理以上に、被災地支援の「マンパワー」だという。国や地方自治体はそういった観点からの被災地支援をすすめる必要があることを改めて感じた。

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▼その上で、被災地のことを気にしながら何度も何度も来てくれるボランティアであったり、観光であっても、視察であっても、「何とかしたいと一緒につながってくれる人」が大切だという。圧倒的な早さですすむ人口流出とのたたかい。雇用が確保されない中で、労働人口が減少していく。なかなか「ガンバロウ」だけでは、前に進んでいかない現実。「十年後にどれだけの人が残っているか心配だ。」と若者のリーダは話す。

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▼被災地からの発信を進めるためのIT支援や、街づくりの支援、いろいろな企画イベントなどの運営・経営のスキルを持った人の支援などだという。 必要な支援は被災後1年半を迎えて、どんどん変化している。


▼衣食住という観点でいえば、大槌にあるMASTというスーパーが昨年12月にリニューアル・オープンした。西友のLIVINやイトウヨーカドーと同じぐらい大きい。品数も豊富で、安いものがたくさんある。食料品や衣料品などの物資の面ではほとんどのものはここでそろえられるようになった。

▼不満が多いのはやはり住環境だ。「仮設住宅」という中での生活は、プライバシーの問題も含めて、安心・安定した生活にはほど遠い。地元の人は「そんな贅沢は言えない」といいながらも、何がほしいといえば、「自分の家」「自分の部屋」というのが正直な言葉だ。 町並み作り、生活空間造りにむけた復興プロジェクトの推進が求められる。

▼さらに、メンタル面ではふるさとや家族・友人を失った喪失感が大きくのしかかる。 精神的な支えとなるサポーターも必要だ。医者やカウンセラーという医療的な措置だけでなく、支え合う内の外の仲間のホスピタリティである。

▼人と人とのつながりがあらためて求められている。大声で居丈高に語られる「絆」でなく、たおやかな「つながり」が求められるし、「そういった多くの人の支えで、なんとか立っていられる」と地元の若者は語る。
   
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▼日本中がロンドンオリンピックで興奮している最中、被災地を歩いてきた。 夏の被災地には、町のあちこちに大きなひまわりが咲いている。 風に向かって立つ ひまわりに手を合わせた。              
                                                    2012年夏の現地からⅠ

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 ひまわり

生きていれば 辛い事も 苦しい事もある
打ちのめされた時には
あの ひまわりを思い出す
雨に打たれようと 風に吹かれようと
立ち向かう強さがほしい

生きていれば 恋に破れ 傷つく事もある
くじけそうな時には
あの ひまわりを思い出す
涙を流そうとも 一人になろうとも
抱きしめる優しさが欲しい

生きていれば 淋しい事も 泣きたい事もある
落ち込みそうな時には
あの ひまわりを思い出す
夏の陽射し浴びて 元気にはしゃいでいる
笑顔のわたしでいたい

そして
わたしは あのひまわりのように
明日を信じて 生きてゆこう

<藤本とおる 詩>