6月30日で、50歳になりました。感謝

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誕生日
▼私は、1962年6月30日、横須賀市衣笠にある衣笠病院で生まれた。体重2700㌘だったという。「誕生日は、生んでくれた母に感謝し、育ててくれた家族や多くの力をいただいた周りの人たちに感謝をする日だ」と先輩の山本議員が話していたのを思い出した。まったくその通りだと思った。

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▼気が付けば、50年という節目を迎えた。50年を振り返り、様々なことを考えた。家族・友人・同僚、さらには、それ以外のたくさんの人たちに支えられてきたんだと思う。アルバムをめくるように、ひとり一人の顔や表情を思い出しながら、いつの間にかいろんな「ありがとう」という気持ちがあふれてきた。

「38歳」
▼私はこれまで、「38歳」から年をとっていない気がしていた。それもつい最近までだ。不思議なものだが、年齢は毎年とっているが、気持ちは、「38歳」のままでいた。そのことを友人に話したとき、何で「38歳」なのか聞かれた。 「30歳でも40歳でもなく、何で38歳なのか」・・・。 そのときはよくわからなかったが、50歳になった今考える時、「38歳」が、精神力・体力・気力が最も充実していた時だったのかもしれないと思うようになった。
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 たぶん38歳の頃

▼38歳という年を振り返ると、この年(2000年)はいろいろなことがあった。鴨居中学校から、池上中学校に転勤して4年目。池上中学校で、最大の師である青池寛校長(現逗子市教育長)が退職した年でもある。部活指導では中体連の専門部長。学校内では、学年主任として、3年生を卒業させた年である。前年に授業では関東ブロックの発表もあった。生徒指導でも子どもたちに向き合っていた。教師として自立ができた年なのかもしれない。

▼プライベートでも、長男の俊太朗が誕生し、家を新築し、一つの大きな転機の年だったのかもしれない。38歳という年齢が、そのままずっと気持ちの中での起点として、一つの節目だったのだと思う。

▼今思うと、順風満帆ではなかった。うまくいったことよりも、うまくいかなかったり、悩んだり、失敗したりした記憶の方が圧倒的に多い。悩み、もがきながらここまで来たのも事実だ。ただ、いつも周辺の方たち、温かく見守ってくれる先輩や同僚、そして後輩たちがいた。周りの人たちに励まされ、ここまで来た。

▼長く見ても、90年の人生とすれば折り返し地点はとうにすぎた。健康と気力・体力に気遣いながら何とか人の役に立つような人生を送りたいと考えている。皆さんと共に頑張りましょう。

▼これからは、①健康に気をつけ、食べ過ぎに注意すること ②、若くないことを自覚し、少しは落ち着いた行動をとる。③カラオケでは尾崎豊を絶叫しないことを確認し、50台を頑張る決意をしました。

また、フェイスブックに多くの方からメッセージをいただきました。ありがとうございます。ぼちぼち頑張ります。

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